高津加log

140字以上のメモ📝

読書感想文「コルヌトピア」

津久井五月/早川書房

 

仕事で「人と人との繋がり方は、これからどうかわっていくのか」を考えなければならない時があり、チームでああだこうだと分析したことがある。

その時は「つながることが当たり前になっている世の中」について議論していたのだが、大前提としているのはネットワークを介した人と人との繋がりであって、機械以外にその演算能力を期待するような発想には至らなかった。

「コルヌトピア」は、近い未来に起きた首都直下地震を機に、緑の計算資源に囲まれるようになった東京で、人と人、そして、人と植物のつながりに関係する三人の人間の物語だ。

冒頭は主人公の視点がなかなか脳裏に浮かんでこなく、都市をイメージするのに時間がかかってしまったが、ピントが合ってからは詩のように読めた。登場人物に嫌味がなく、読後感もよかった。

昔の記憶を糧にしながら変わりゆく都市を生きること、について考えたりした。

 

※以下、ネタバレに考慮していない感想。

 

時々、「なぜ、日本で働いているのだろう」と思うことがある。

海外に暮らしていたことがあり、日本国外へ進学することもできた私は、日本の大学を求め帰国した。日本の文化が恋しかった。当時は、日本にいなければ、特に東京にいなければリアルタイムで触れられないものが好きだった。

だが、年を重ねるにつれ趣味は変わり、通信技術や流通も、より発達した。日本にいなくても欲しいものを得られるし、楽しめる。そういう世の中になって改めて自分に問う、「なぜ私はここにいるのか」。

「コルヌトピア」作中では「場所への愛」を持てる人、持たざる人の話がでてくる。私には場所…生まれ故郷や育った場所への愛着はたしかにある。だが、自分の居るべき場所だという感覚はない。転居を繰り返したからそう思うのかもしれないが、そもそも、街が無機質すぎるからかもしれない、と、本を読んでいて思った。私が「帰ってきた」と思うのは生まれ故郷の川や山をみた時だ。有機的なものに郷愁を覚えるのだとするならば、コルヌトピアのようにグリーンベルトが街を囲み、緑化された都市を歩く時、私は例えば新宿の緑化高層ビルを見て「帰ってきた」と思うのかもしれない。

そういう未来を日本で見たいがために、私は日本で働いているのかもしれない。

 

描写のはなし。

植物の演算能力を用い、時には花束と自らを接続して都市と繋がる感覚が、詩的であるのが良かった。

作中で、本来言語化できない意識のビジュアルを言葉に描出していく作業が描かれるが、他人の描出を引き継いで直すのは難しいという記述がある。他人の詩を正しく解釈するのは難しく、続きを書こうとするのはもっと難しい。SFの文脈で詩が語られていることが私は嬉しかった。

植物と人、そして都市。これらを結びつけるうえで、庭園、というキーワードは現れるべくして現れる。人は自然を完全に屈服することはできず、リソースの一部を使わせてもらっている世の中では、庭園ですら完璧に予想通りに行くことはない。それでも、数多の命が自分と共鳴し、共に花開き繋がり合う瞬間がくるのだとしたら。私達は自分の庭園の中で、最早衣服もみてくれも関係なく、ただ人間が持ち得る「言語」だけで個を認識するようになるのかもしれない。詩人にとって、これほど甘美で残酷な世界も無いと思う。

 

最後まで読んで、さらに欲をいえば。

登場人物のドラマを、人生を、もっと長く読んでいたかった。

ただ、誰も死んでいないことが救いだし、続きを夢想することを許してくれる話の終わり方がよかった。

明日の朝、まだまだ当分終わりを迎えないサステナブル・シティに生きているアビーくんのことを考えながら、家の鉢植えに水をやろうと思う。