高津加log

140字以上のメモ📝

読書感想文「未必のマクベス」

 この日曜日で一気に読んだので、まだ物語の余韻にじっとりと浸かっているうちにこの文章を書いている。

 

 以下、ちょっとした自分語りを含みながらの所感となる。

 私は、短くもないが長くもない社会人経験の中で、日本国内の仕事、海外を相手にした仕事、そして経営企画に相当する仕事をこなしてきた。世の中的に言えば出世街道かもしれないが、基本的に出世欲はなく、できれば社内ニートでありたいと思っていた。小説の主人公と同じような経歴を持っているが、私はもっと小市民的で、仕事に対して受動的で消極的だった。
 東南アジア界隈にも何度も出張をしていて、面白いことも面倒なことも経験した。いくつかの出逢いもあったし、今も当時の同期はアジアの地で頑張っている。
 それらは全て過去の出来事だが、私がこの本を読む上では丁度よかった。
 「未必のマクベス」の時代設定は、少し昔で、更には昔気質の企業が設定されている。大企業病を端々で感じることのできた時期の終わり。その雰囲気は私にとっても過去、既知の世界の話で、すんなりなじんで読むことができた。
 
 それなりに大きな会社に数年勤めていると、自分がどこへ進むべきか解らない時がある。
 なあなあにとりあえず業務をこなす中で、ふと、昔が美しく輝いていたように思う時でもある。
 この頃一番輝いているように感じてしまうのは――当時の私が聞けば失笑ものだろうが、高校時代だった。

 

 高校生の時の片想い。ああしてればこうなったのかもしれない、という思いはきっと誰にでもあることだろうと思う。
 私にもある。私はその人と未だにSNSでゆるく繋がっていて、その人が誰かと長く交際していたことも、まだ結婚をしていないということも知っている。そんな風に知ってしまっている自分を、ちょっと嫌だと思うこともある。何もアクションを起こしてないのに知る事だけはできる状態というのは、SNSのネガティブな部分かもしれない。
 「未必のマクベス」を読みながら、そんな嫌な思いを抱えたままの自分を受け入れてくれたような気がして、少しだけ楽になった。 

 

 高校のころの記憶なんてどんどん薄れていくから、良かった記憶は美化されるし、嫌だった記憶は風化して、「まあ、悪くなかったんじゃないか」と思える程度のものになる。だから、抱えたままでも良いんじゃないかと思ってしまうのかもしれない。
 実際自分は年をとっていくし、様々な経験をしていく中で、それ以外の「これから」を考えなければならなくなる。
 けれど、ふとしたタイミングで、あの時の続きを手に入れられるのだとしたら。
 今なら私も、中井同様、その道を選んでしまうかもしれないと思った。(勿論現実は、そんなにドラマティックではないけれど)


 ※以下は、ネタバレも含むので畳みます。

 


 この小説の主人公・中井優一は、とても優しい人物だと思った。
 こんな風に優しい人を私は現実でも知っている。その人は優しいけれど、その分誰の事も心の底では信用していなかった。
 中井は、出逢った人達を信頼していると言っていた。信じているということは、「どうなっても構わない」ということと同義なのだろうか。或いは、諦めている、ということか。信じて頼る。つまり、相手にゆだねると言うことにはならないだろうか。
 ともすれば、自主性に欠けるということになる。欲が無い。でもそれは、遠い昔に一つ諦めてしまってから、ずっとそれを後悔しているからこその現在への無欲なのだと思う。
 野心がないということは、金への執着がないということで、それは彼の枷にはならなかった。大金を前にしたら、どんな人でも変わる。変わらなかったのは中井と伴だったけど、結局どちらも「変える」ことはできなかった。伴の欲の方が勝ったということだろうか。
 伴の人間らしさが嫌いにはなれない。あれだけのことをできてしまう彼の能力が羨ましいと思う。それだけのことをしても王に勝てない(と思いこんでる)彼がとても哀しく、そこが好きだ。勝てないと思っている相手に、軽々と壇上から降りて欲しくはないものだ。

 

 途中途中、彼女がそうなんじゃないかと思っていて、それは結果として合っていたのだけど、最後の最後はやっぱり泣きそうになってしまった。でも、中井にとっての最悪の結果にはならなかったから、いいのかもしれない。
 生きる力が強いということは、物語の呪いの外にいるということで、鍋島にも由記子にもその呪いはかかっていなかった。それが救いだし、彼女たちにとってはそれが呪いであったかどうか知っていても知らなくても、解くことができなかったことを一生後悔するのだろう。

 

 そう、読んでいてずっと、女性陣が皆、とても優秀であることに感心した。筋が通っていて、ちゃんと生きようとしていて、嫌味がない。都合がいいと言う人達もいるかもしれない。だが実際、大概の有能な女性というものは合理的に動く事ができるし、自分たちの感情に対して真摯で、相手を思いやれるものだ。頭のいい大人の女性は、むやみにヒステリックにならない。

 

 総じて、自分の人生の「もしも」を考えながら読む600頁超だった。
 今年中にバンコクマカオを訪問する予定だが、少しだけ感傷的になりながら街を歩くことになりそうだ。

 

 これからも生きていて、折に触れて思い出すんだろう。
 そういう話に出会えたことを幸福に思う。

 

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